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澱みの底

その部屋は暗く、家具らしい家具と言えば中央に白いソファーと、正面の壁に巨大な液晶テレビが一つ置かれているだけだった。テレビには、20年程前に撮影されたと思われる古いサッカーの試合が映っていた。僕は何かの罠の気配を感じ取って少し慎重になったが、30秒ほど思案して諦めた。突然ソファーが爆発したり、鋭利な刃物が飛び出したりしないことを願いながら、ゆっくりとそれに腰掛けて、目の前で展開している試合に意識を集中した。試合は赤いユニフォームを着たチームが2対1で勝っていた。
腰を落ち着けて数分して、僕は奇妙なことに気がついた。流れる音声が伝える試合は相当の喧噪に包まれているのだが、映し出されるスタジアム自体には観客がただの一人もいないのだ。では、この歓声は誰があげているのだろうか。試合の実況を含めた音声は正確に試合の状況を反映しているし、誰かが音声のみを差し替えたと言う訳では無さそうだ。僕は気づくと唐突にこの場所に放り出されていたので、何者かの意思か、または観念的な何かによってこの正体不明の現象が起こっていることに間違いは無かった。僕はややあって原因の追求を諦めて愛情と性欲のなりたちや不定愁訴が女の子にもたらす影響について考え始めた。本来愛情は性欲を従属要素として持ち得るが、性欲は当然それのみでも成立するし、また性欲が愛情を引っ張ると言ったような逆説的な状況も起こり得る。同様に不定愁訴を訴える女性が持っている愛情なり憐憫なりと言ったものも、逆に不定愁訴自体や、彼女たち自身の人格のようなものまでをも支配する。それは愛情ではなく性欲と呼ぶべきなのかもしれない。性欲が支配するその人格は、人格と呼べるものでは無くなっているのかもしれない。赤い連中が一点追加し、ゴールを決めた選手はディスプレイの中で虚空に向かって手を突き出していた。観客の不在は非常に不気味だった。あるいは観客達は最初から居ない訳では無く、20年の歳月と共にひとりひとり居なくなってしまったのかもしれない。僕はそのまま人格の不在性がもたらす効果と、一ヶ月程前に性交渉を持った不定愁訴を煩う女の子の人格について考えていたが、仮面をつけた二人の女性がそっと部屋に入ってきて、思考は中断された。僕はソファーから立ち上がって、見覚えのある二人の身体付きからそれぞれが誰であるかを思い出そうとしたが、結論が出る前に二人が放った9mm口径の弾丸が着弾し、僕の脳味噌は吹き飛ばされて壁に豚のような色の幾何学模様を描いた。

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